小学生の時の夢は「武闘家」になることでした。
当時、大ブームだったドラゴンボールの影響ですね。
皆さんも一度はお風呂でかめはめ波の練習をしたことがあると思いますが、私は小学校1年生から4年間、毎日欠かさずに行っていました。
そんなどこにでもいる一人の純朴な少年が、パチプロになるまでのはなしです。
すべてはセブンイレブンからはじまった
かつて武闘家を夢見た少年も、義務教育で人に殴られることの痛さと辛さを学び夢をあきらめ、気付けばどこにでもいる高校生になっていました。
高校に入学した私は勉強もせず、クラブ活動もせず、ひたすらアルバイトに打ち込んでいました。
学校が終わればセブンイレブンでレジを打ち、土日祝は運送屋で様々なものを運ぶアルバイトをしていました。(ちなみに運んだもので一番大変だったものはボーリングのレーン)
ある日、セブンイレブンで一緒になった先輩から魅力的な誘いを受けます。
「パチスロってあるやろ?あれ儲かるらしいで。昨日先輩がラオウしばいて一瞬で5万勝ったて言うてた。俺もやったことないんやけど1回行ってみるか?」
当時のセブンイレブンの時給は700円。5万稼ぐためには70時間以上働く必要があります。それが一瞬で手に入るなんて夢のような話です。
当然のように「行きます!」と即答、次の日学校を休んでパチスロを打ちに行くことになりました。
開店して少し経った頃だったでしょうか。
パチンコホールに入店した先輩と私は並びで打ち始めることにしました。
機種は初代「北斗の拳」。
200X年当時、絶大な人気を誇っていた機種で私も先輩もその存在だけは知っていました。というかむしろ「パチスロ=北斗の拳」だと思っていました。
はじめはほかのお客さんの動きをマネしながら、おっかなびっくりだった2人ですが、お昼を過ぎるころには格好だけは一人前のスロッター。タバコをふかしながら足を組んでレバーを擦っていました。
ただ実際は2人ともズブの素人でしたから小役の目押しすらできません。
正確にいうと目押しという概念すらなく「なんかたまにスイカとか揃ってんな。」ぐらいの感覚でした。
はじめてボーナスを射止めたのは私のほう。
ここで7を揃えないとボーナスが始まらないということに気付き、目押しの概念を確立したわけです。
バトルボーナスが5連荘ほど続き、私も先輩もコインの増えるスピードに仰天。
2人でギャーギャーいいながら消化した覚えがあります。
その日は確か3万程負けたかと思います。
ただ、パチスロ店の雰囲気や思春期独特の「イケナイ事をしているのが楽しい感」、そして何より「北斗の拳」の面白さに脳をやられた私はパチスロにのめりこんで行くことになります。

負け続ける日々
それからというもの、毎日のようにホールに通うようになりました。
夕方からはセブンイレブン、土日は運送屋のアルバイトで忙しかったので、学校をサボって平日の昼間に通っていました。
「設定」という言葉の意味すら知らない状態でしたのでもちろん負け続けることになります。当然アルバイトで稼いだお金などすぐに無くなってしまいます。
いつしかアルバイトの給料日がくればパチスロを打ちに行き、お金が無くなれば学校に行くというローテーションで立ち回ることになり、何とか高校を卒業することはできました。いま思えば負け続けていて逆に良かったかもしれません。
そんな生活を送っていたので当然学業成績は散々だったのですが、なんとか名前を漢字で書ければ合格できる大学を見つけることができ、晴れて大学生となります。
大学生になっても学校をサボってホールに通う生活が続きます。変わったものといえば高校が大学になり、北斗の拳の後ろに「SE」というアルファベットが付き、セブンイレブンがローソンの夜勤になり、運送業が居酒屋になった程度。
ただ、大学生になることで高校生とは社会的な意味で大きく変わることが一つあります。
そうです。借金ができるようになるんですね。
アルバイト先の店長のババアに無理やり作らされたローソンのクレジットカードでキャッシングを重ねることになり、すぐにキャッシング限度額の30万円に達することになります。
高校を卒業したばかりの18歳にとって30万円は大金。
借金30万円の恐怖におびえる私は気持ちを改め、パチスロからの引退を決意。
ホールから遠ざかっていくことになりました。
社会人編に続く